普段は気まぐれ愛知グルメという食べ歩きのブログを運営しておりますが、実はマラソンも趣味としています。マラソンを始めたきっかけは【会社の駅伝大会に誘われた】という出来事がきっかけになります。
会社の駅伝をきっかけに大きく変わる
以前、スキーのインストラクターをしていたという経験からスポーツができるという印象を与えてしまい駅伝に出る事になりました。しかも優勝を狙うチームのアンカーという大役
私も『優勝を狙うなんて言ってても、実際に優勝はできないだろう』と甘く考えていましたが、本番を迎えると大げさな話では無くアンカーまでは2位で1位とは8秒差でタスキを渡されました。目の前にいた1位の背中は私の目の前でどんどん小さくなっていく
これが差というもの
8秒だった差はゴールしてみれば1分近い差へと広がっていました。手を伸ばせばつかめた優勝は私が手を伸ばせなかったから掴めなかった。
これは私が作った差だ
駅伝大会に出ると決まってから1日5㎞程度のランニングをしていましたが甘すぎた。ゴールした瞬間は私は練習をやるだけやったので、この結果は仕方ないものだと諦めていたが仲間は違いました。涙をこらえゴールした私を労っているが悔やしいのが痛いほど伝わってきました。本当に私のしてきた努力は正しかったのだろうか・・・気が付いた時には涙があふれていました
これまでの努力は応援されるに値しない
練習した。やれるだけやった!なぜそんなつもりになっていたのだろう。確かに仕事は忙しく走る時間が無いなかで工面して毎日5km走ってきたが、果たしてそれは私だけにしかできない事なのか、第三者から見て『凄く練習している』と言っていただけるものだろうかと考えると、答えはNOだと思いました。応援してくれた人が私のプロセスを見聞きした時にこの程度の練習なら当然の結果だと思うことでしょう
この人が出来ないなら仕方ない。と言われたい
会社の駅伝なので大それたことは言えませんが、駅伝はチームプレーで各区間を任されて走っているので【与えられたポジションで与えられた役割を果たす】が重要になります。そして相手もいる競技なので自分の調子の良し悪しだけでは語れません。そこで大事になってくるのは【この人なら任せられる】【この人で出来ないなら仕方ない】そう思っていただける存在になることで、同時にプロセスもアウトプットも要求されてきます
じゃあどうするのか?
他の人が走りたくない・走れないとこまで行こう
地元のマラソン大会に出まくりました。10kmの大会は季節を問わずあるので『こんな小さな大会に』と言われるような大会にも出ました。気が付けばハーフもフルマラソンも走っていました。時には夜通し走る12時間耐久レースにも参戦して、走って走って走りまくりました。そして迎えた駅伝で・・・
結果はすぐ表れた。それがマラソンかもしれない
翌年の駅伝でチームは優勝、個人としては区間賞を獲得しました。早すぎると思いますがマラソン界隈でよく耳にする『練習は裏切らない』という言葉は本当だと思いました。
優勝賞品の高級霜降り肉500g
区間賞のメダル
いつも優勝されるかたにとってはこの程度の賞品は見慣れてるかもしれませんが、私には縁が無いと思っていた【走る】という競技でこれらを手に出来たことのインパクトは計り知れず走る事を続けたい。そう思えるようになりました
勝って負けてをくりかえしウルトラへ
その後も駅伝へは毎年参加するようになりましたが、2位と優勝を繰り返すようになりました。人よりも練習したいと思うようになりフルマラソンにも出場しましたが何だか気持ちが乗ってこない。
ついにウルトラに手を出しました。正確にはウルトラマラソンで一番難しい大会は何か調べていたら野辺山ウルトラマラソンだと知り気が付いたらエントリーしていました。野辺山ウルトラマラソンにエントリーしたというと誰もが無謀だと言いましたが、結果は12時間45分でのゴール。初ウルトラでしかも野辺山でこのタイムなら上出来でした
こうしてウルトラマラソンの世界に足を踏み入れ現在もウルトラマラソンをメインにエントリーをするようになりました。